勉強することの意味はテストの点を取ることだけなのか
勉強することの意味。
これはテストで点数を取ることだけなのだろうか。
塾である以上、テストの点数を取ること、合格実績を出すこと。
これが最も大切なことであり、それが生徒が塾に来る理由。
これは当たり前のこと。
塾の力はどれだけ高い確率で、期待以上の成績アップを成し遂げることができるか。
だから、みやうち塾もこだなか塾も、それを突き詰めた塾。
では、池畠個人としてどう思うのか。
そう聞かれると、テストの点数に現れることだけが勉強だとは思わない。
入試はあくまで仕組みであって、昭和~平成で機能してきた評価制度でしかない。
学問の深さは、それをはるかにしのぐものだと思う。
だから、試験勉強というのは、「ゲーム」というイメージ。
入試という人為的に作られた人材登用の仕組みの中で、いかに効率よく点数を上げるか。
それを極めるゲーム。
このゲームにはもちろん、塾は、この内申と偏差値で競われるゲームにおいて、いかに効率よく、確率高く結果を出すかを極めるサービス。
もちろん、本当の学力なるものと、テストの点数が全くリンクしていないかと聞かれればそんなことはない。
しかし、入試制度というものがまだまだ発展途上の仕組みであり、決して完璧なものではない。
いや、むしろ完璧とはほど遠いもの。
だから、理想は、圧倒的な学力で軽々と入試を通過してしまうこと。
目指すはそのレベルまで学力を上げること。
では、そのために何が必要なのか。
これは入試とか関係なく、必要だと思うものを上げるとするならば、
意味を理解する力
なんだよ、超当たり前
と思われてしまうかもしれない。
でも、言葉の意味を本当にわかって話している人は少ない。
そもそも、意味とは量的なもので、質的なものではない。
だから、人によって理解度は必ず差になってしまう。
同じ単元を勉強しても、同じ言葉を覚えても、その単元・言葉をどれだけイメージにでき、言葉にでき、自分のものとできるかは、理解の「深さ」によって変わってしまう。
そして、この意味を理解する深さをどこまで極められるか、言い換えるとどれだけ解像度高くある事柄を理解できるかが、学力なんだと思う。
こんなこと言われても、何をすればいいかわからないと思うから、具体的にこれはできてほしい、というもの、みやうち塾小学生に身に着けてほしいものを書くと
割合
品詞
文構造
この3つの概念に関しては、理解しきってほしいと思う。
いや、何としても身に着けてもらえるようにしないといけない。
ちなみに、こういった小学生から身に着けてほしい内容を単元を超えて教えているのが、学びシアター。
切符制、というシステムばかりが進行してるけど、そんなのはおまけ。
受験とか関係なく身に着けてほしい力を細分化して授業にし、学力の根本的向上を目指す。
結果として公立トップ校合格。
こんなのはおまけだけど、軽々と超えていってほしい。
そういう思いで今年から運営中。
もちろん、点数アップから逃げるわけではない。
しかし、制度が進化していくのも事実。
だったら、ゲームのルールに合わせて、塾も当然変わっていくはず。
その最初のサービスになることを目指している。