昨日、僕の祖父の葬式がありました。

 

 

これは単なる自分の頭に整理と備忘録のためですが、

 

僕の祖父について書きます。

 

 

僕が知る祖父は、我慢の人。忍耐強い人。けがをしても何があっても弱音を吐かない。これは最後まで変わらなかったと思う。

 

 

1928年、昭和恐慌の真っただ中に生まれ95歳まで。本当に天寿を全うされた。

 

 

幼少期は北海道に生まれ、貧しい家計を支えるため、朝から新聞配達をしていたのだそう。

 

北海道の寒い中、早朝から新聞配達。

 

この辺から祖父の忍耐強さは培われたのではないかと思う。

 

 

そこから戦争を経験。

 

このころの話はあまり聞いたことがなかったけど、大変だった、みたいなことは話していた。(小学生の頃の夏休みの宿題で戦争体験記を聞いた記憶あります。)

 

 

そして、その後いろいろな仕事を転々としたそう。また、確かこのころに、早稲田大学の夜間制学部を卒業している。

 

 

そして、確か36歳のときに、齊藤鋼材店を創業し、祖母とともに経営をする。

 

鉄は当時、産業の米と呼ばれ、建築には欠かせない資源として注目されていた。

 

祖父もそこに目を付け、鉄の卸売りをする専門商社として(詳しい業態は聞いていないけれど、専門商社だと思っています)、齊藤鋼材店を創業。

 

そこから、95歳になった現在まで、会社を続けてきた。

 

僕が思えている祖父の印象的なシーンは3つ。

 

 

1つ目は、朝早くから、家の1回にある鉄の加工場で作業をしている姿。休日も夏休みも。軍手をつけて黙々と作業をしていた。

 

おそらく、あの頃はまだ70歳くらいですごく元気で、ただ、どことなく厳しいイメージがあった。

 

2つ目は、一緒に将棋をしているシーン。

60歳まではひたすらに仕事一筋に打ち込んできた祖父だが、60歳になってから、山登りをしたり、囲碁をしたり、詩吟を始めたり、

 

自分の趣味に打ち込み始めたそう。僕もよく将棋を対戦したので覚えてます。

 

 

3つ目は、会食などで正装をして話をしている姿。普段は科目だけど、儀式のときには本当にきっちりしていて、礼節を重んじる方だったと思う。

 

とても義理堅く、合理より道理を大事にする、これが僕が感じていた祖父の人間像。この辺は、あまり儀式とかを大事にしない自分のことを祖父はよく思っていなかったんじゃないかなと今になって思う。

 

礼節を大事にすることは大事なんだなと、今更ながら感じています。。

 

 

 

祖父の戒名(曹洞宗だと、法名ではなく戒名というそうです)は壽岳吟芳信士。

 

 

芳 は 斎藤芳夫 の 芳 の字。

 

吟 は詩吟が好きだったから。

 

壽 は お坊さんからいただいた名前。

 

 

そして、個人的に印象に残っているのが、岳 の字。

 

これは、祖父が山登りが好きだったからつけた名前のようです。

 

ただ、この字にはもう一つ意味があって、

 

 

祖父の話を聞いたお坊さんが、

 

「山のように家族みんなを支えてきた。死後もみんなを山の上から見守ってくれる」

 

そんあ意味を込めてつけてくれた名前のようです。個人的に、山のようにみんなを支えていた、これは寡黙だけれど愛情深く誰にでも接していた祖父にピッタリなのではないかと思う。(死んでからも見守らせられるなんてじいちゃんは大変ですが(笑))

 

 

 

個人的にも、今の会社を作るに当たって、本当にお世話になりました。

 

会社の資本金を入れるにあたって融資もしていただきました。

 

100まで生きたらこの株の価値は5億くらいになるから頑張って、と話しましたが、祖父からは別に5億とかにしないでいいからしっかりやれ、と叱咤激励?をいただきました。(笑)

 

 

結局生きているうちに5億にすることはできなかったですが、それでも申し訳なかったとは思ってません。

 

この会社を作ることができたのは祖父のおかげ。同じ経営の道を進むことになり、その思いを継ぐことができればとてもうれしく思います。

 

じいちゃん史上、最高にいい投資になったといっていただけれるようにしていきます。じいちゃんも草場の陰で喜んでくれるはず。

 

 

祖父が話していた、中で思い出に残っている話がいくつかあるんですが、その中でも印象に残っている話が一つ。

 

それが、なぜ長く会社を続けることができたのか、という僕の問に対する質問。

 

それに対し祖父は、

 

「俺は経理をきちんとしたからだ。営業だけうまくて最初うまくいったやつとか、バブルのころだけやれたやつはいた。でも、経理を疎かにしたからみんあ辞めていった。俺は地味だったけどそこをきっちりできたからここまで続いた。」

 

 

専門商社のビジネスモデルとして、仕入れの金額が大きく、銀行からのつなぎ融資とかも重要になる。また、未回収があったりしてかなりきつくなったこともあったそう。そういうときにも、経理をきちんとしていたから銀行からも信頼された。

だからピンチを脱出できた。

 

こんな風に話していました。

 

 

あともう一つは、持ち逃げの話。

 

昔、ある社員にお金を持ち逃げされたことがあったそう。その時はその社員を信頼していたから任せた。でも、どんな善人でも魔が差してしまうこともある。だから、会計は必ず自分でやり、悪いことができるような環境はつくらない。

 

 

これは、僕の組織作りにもかかわっているのですが、

 

性悪説に基づき仕組みは作る

 

もし、ルールが守られなかったら、いったいどんな善人が血迷ってしまったのか、そんあ視点でルールを疑う。

 

性悪説で考えるからこそ、人を攻めずに仕組みを攻める。

 

自分の考え方はここからきています。

 

 

 

最後は、祖父と叔父だけで会社は経営し、身内だけで商売をされていました。

 

 

でもこの判断をした理由は今でもよくわかります。

 

礼節を重んじる祖父だったからこそ、最後は本当の意味で責任をおえる身内だけで商売をしようと決めたのだと思います。

 

今回の葬儀では、孫・親戚が参加していました。

 

これは、最後は家族を大事にしようと祖父が考えたからこそ、これだけみんあが集まったのだと思います。

 

 

 

結局、経営において正解はない。

 

正解、すまわちゴールは、自分がどうなりたいのか。

 

これをもう少し解像度高く書くと、自分の葬式で誰に来てほしいのか。

 

 

これが決まれば、やることも決まってくる。

 

 

成長というのは、多くの情報を得ることではなく、削ること。

 

人は皆、無駄な思い込みや先入観にとらわれて本来の力を出せずにいる。

 

この無駄な先入観や思いやりを取り払い、ゴールまで最短で行けるようにすること。

 

無駄なことをそぎ落とすこと。

 

 

これこそ、成長なんだと確信しました。

 

 

今回の葬式では、僕の従弟が、娘・息子(祖父のひ孫)を連れて参加していました。

 

昔、自分たちがかわいがってもらったように、今度はこの子たちが育っていく。

 

祖父が亡くなってしまったのは本当に残念ですが、でもどんな人間も死からは逃れられない。

 

でも、亡くなったからといってすべてが無駄になるわけではない。生きている間に残してきたものは誰かが必ず引き継ぐ。

 

最後、ひ孫にも来てもらって、祖父は満足だったのではないかなと思います。

 

 

95年間、まさに天寿を全うされたなと。

 

楽しい思い出を本当にありがとうございました!

 

 

そして、お疲れ様でした!